忍者ブログ

Ryoji Suzuki Memo

memoRyoji Suzuki image (メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒ねむれないあなたへ

MENU

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

野鳥

野鳥


調べものに頼らず、自分の記憶やイメージ、知識だけで記してみる。群れからはぐれた野鳥が一羽。おそらくその野鳥は生きてはゆけない。又、はぐれるには相応の原因があったろう。身体が弱いとか、人ではないからなんとも言えないけれど、心の何かが仲間とは少しだけ異なっていたか。脳の回転が仲間より早いとか、動きが速いとかだって、そのバランスによっては、はぐれるなんらかの原因となるだろう。ある、はぐれた野鳥の雛が人の手で育てられたとする。その野鳥がその人の世界に稀にも順応できたなら、野鳥ではなく、籠の中の鳥として出来る限りの生をまっとうするだろう。もしくは、種族的性質上人の世界への順応は難しく、成長してから野鳥の群れに返すとする場合、人の世界から野生の世界へ順応出来るかどうかは、その育てた者の育て方によるだろうし、またその野鳥の頑張りや体力、精神力、野性的本性のようなものに期待するしかない。鳥の世界のことなら、こうしたイメージまでなら人として考え持つことができる。では人間自体はどうだろうか。自覚なく幼き頃、または出生前に本来の群れからはぐれ、異なる群れで育った者がいたとして、その者は元の群れのことを知らないし、周りの者は何も知らない。周りの者はどこかが、何かが自分と違う。周りで気づく者はなく、常に自分だけおかしい?としか思えず。しっくりこない、なぜか居心地悪い、いつも居場所がない、何かが足りない、なんだかわからない、誰もとりあってくれず、誰にも話しようがない・・・そんな想像がめぐる今朝。


emoji
PR

贈答品

贈答品


贈答品と一言で言ってもその意味の広さに驚く。手土産、お詫びの品、お中元やお歳暮など季節のご挨拶、お祝い事多数、記念日や誕生日のプレゼント、冠婚葬祭など様々だ。訳あって、ここ数日間そういった品々のサーチ、またはリサーチを繰り返している。自分にとって得意ではない分野であったので、今回意欲的に取り組んでみてもいる。で、受け取る相手の気持ちや好みを知っていたり、それを相手に訊ける場合はともかく。問題はそれが相手に訊けない場合、気持ちをある程度訊けても好みが訊けない場合、そもそもその相手と接触することがあり得ない場合でもそういった品々をお渡しするには、そういう経験がない中では未知の世界を探索するようなイメージもあって。


emoji

処理中

処理中


現在、込み入った案件を処理中。色々な立場の人の、それぞれの立ち位置に立つのは中々難しい。けれども難しいとはなるべく思わないようにして、できるだけそれぞれの立場からものを見ようとし、自分の位置でも考え、ことをどうにか並べて判断してゆく。それでも係わるほとんどの人は善意ある対応をしてくれている。日々の学びを糧に着実にこなしてゆくしかない。


emoji

地球

地球


地球は過去を乗せて宇宙を旅しているのだろうか。いや、それとも未来を乗せてどこか目的の場所へ行く予定でもあるのだろうか・・・なんて。久しぶりに小学生や中学生のころの疑問を書いてしまった。地球は今なだけであって、ただ今の連続なだけであって。たぶんきっと。過去はお荷物や学習の成果、すべては人の記憶の中に。未来は創造することができるけど、やっぱり人の意識の中なのかな。明日はどこにいこうか地球さん。


emoji

シンクロ

シンクロ


もう身近な意味合いやイメージを抱くことも普通のことなのじゃないかな、という気がする「シンクロ」という現象。諸々の案件でお世話になっている方からもついにその言葉が飛び出した。それは「いろんなことが、まるで操作されているかのごとく同時に起こる」というものだ。そうしてその出来事からいくら自分が「こうしよう」と、予定していたことも、つもりであったことも、そのシンクロにかかわったり、かかわらなかったり、を問わず何気に納得してしまうような方向にことが進んでゆく。その流れを「覆す」も「流れにのる」も両方ありだ、と私は思う。その「シンクロ」と思しき現象を「疑う」とか「信じる」とか、そういうことではない、と思う。いずれにせよ、「自分で選択する」ということが『最も大切である』ということに、気づくことが大切なんじゃないかな、そう思っている。


emoji

内側

内側


「外側」の守りを固めることは『内側』を守るためにも重要である。日本人ならば、そのあたりのことは一々口にせずとも感覚的なところで長年にわたり習慣付いている。が、ために、実は『内側』についての感覚が疎かになり易い。これは突き詰めてゆくと民族的な感覚や価値観の差異の問題にまで発展してゆくだろう。勿論今となっては既に現実の脅威とも隣り合わせにあることは、少しでも物事の本質を考える者ならば決して分からない話ではない筈だ。私は幸いにもこの『内側』について敏感な感覚を持つ者を知るがために、『内側』に疎い私でも、少しづつ『内側』について学び得ることが可能でいる。この稀な『内側』について敏感な感覚を持つ者には、得てして「外側」の慣習的な在り方そのものが、理解し難いケースも多い筈で、人間ならば費やすエネルギーの範囲にそうそう大差がないがために、当然「外側」との接点も『内側』を知れば知る者ほどその接点において距離が離れていくのも道理である。もしくはその『内側』を知っていても、この日本では、個人を取り囲む慣習的な壁が強固がために、その『内側』の在り方を育てることが難しい。もし、このことに気づくなら、本当はまずは自分の内側を知ることから始めなければならない。ところがもはやそれは難しいのが今の世だ。周りに『内側』を知る者があるならば、その人材を大切にしてほしい。それが何の事でどんな者か分からなければ、何とかして己の『内側』と接する時間を、機会を、真剣に取り入れてほしい、今朝はこんなことを思った。


emoji

気のせい

気のせい


「気のせい」っていうのは、本当はないんだろうな、と。『気がする』というのはあると思う。あるとき、ふと、話し声が聴こえた、とする。それが屋内のある部屋からであって「誰かいるんだ」と思い、部屋の扉を開けた、そしたらそこには誰もいなかった。そんな時『なんだ、気のせいか』と、言いそうな場面だ。こんなことを書いてるのは勿論自分の経験からだ。そして、さっきたまたまそのような体験をしたことで今回はこう思ったのだ。「確かに誰も部屋にいなかった」「でも話し声がしたような気がする」と。で、今日のお題はここから先。ひとつには「でも絶対に話し声がしたのは確かだった」「だから人がいないだけで、実際会話があったのだ」と、こうするとオカルトになる。が、実はたった数秒前でも人の記憶は意識により塗り替えられることができるという。もうひとつは「屋外や何処かの話し声が屋内へ回り込んでたまたまその部屋の方向から聴こえたのかもしれない」と、こう判断するなら、屋外を確認に行けばよいし、特に行かなくてもよい。もし事実ならその話し声が単純に聴こえている、というだけのことだ。その他に「自分の脳で、何かの会話の記憶が蘇ったかな」など。その思考がその人の真実なら、感覚と表現に個人差があるだろうから、二次的な判断では「理解できる」という人と「わけわからない」ととらえる人とわかれそうだ・・・と、そう思っただけのことなのだけれど、なんだか不思議な感じがしたので書いておく。


emoji

Ryoji Suzuki への連絡
メールフォーム




頂戴しましたメッセージの確認及びお返事のご用意にお時間もしくは日数がかかる場合がございます。

× CLOSE

プロフィール

HN:
Ryoji Suzuki
性別:
非公開

最新記事

(04/29)
(04/23)
(04/21)
(04/20)
(04/19)

P R

× CLOSE

Copyright © Ryoji Suzuki Memo : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]