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Ryoji Suzuki Memo

memoRyoji Suzuki image (メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒ねむれないあなたへ

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対応拒否

対応拒否


今週の半ばあたりから本格的に体調を崩した私は、数日間、全ての方からの電話やメールに対応しないようにした。この試みは初めてのことである。他人から見ればズボラでいい加減な私だろう。それであっても、自分の知る自分自身の大変に神経質な面には、電話やメールの着信音に対する弱さや、そのメッセージ内容次第では自分をごまかしても結果相手に振り回されるような対応をしてしまう弱さ、そういったことがあり、その面を自身の内で阻止することにしたのだ。土曜日(今朝)になって、少し調子がよくなったのでこのように綴ることを開始したものの、ブログに「書いた」くらいで、また「対応しない」ということで何かの解決になるわけではない。こういった試みでなくても、過去にたまたま「対応せず」の間に過剰な心配を引き寄せたり、思わぬトラブルへ発展した、その経験のある私にとって、自身の体調の保守と「自分の弱さ」との関わり合いは常にテーマであり、中々克服できない自分のことのひとつだ。


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お買物

お買物


私の言う「買い物」とは、主には週一回行くスーパーへの食材の調達のことである。月に一~二度くらいはドラッグストアへも買い物に行く。懇意にしているスーパーは、日曜日定休なので、昨日中に行くつもりでいたが、出かける少し前から強い雨が降り出し、スーパーの閉店時刻の頃も雨のやむ気配がなかったので、買い物を見送った。たまたま近所の方が旬の食材をおすそ分けしてくださったことも重なり、来週のどこかでスーパーに行くことにした。今日になってみて、日用品の不足もあったので、卵や調味料の補填がてら日曜は営業しているドラッグストアに行ってきた。特に何か出来事があったわけではない…そうだな、旬の食材について書き足しておこう。懇意にしている近所の方からは、取り立てのタケノコを水煮にしたもの、それと新鮮な鶏肉と、もうひとり別の方からは、もぎたてのカキ菜、セリ、春菊、また同じくカキ菜のお浸し(調理済)のモノなどを頂戴した。そのため今日はタケノコご飯と、カキ菜を浮かべたタケノコの味噌汁を作ることができた。実に、誠に、大変にありがたいことであるし、旬の食べ物は本当に美味しい。


ありがたい⇒特には「下ごしらえ」までしてあることもemoji



及第点

及第点


まったくもって私の自己満足話。母への配膳の後、母から「一緒に食べないの?」と言われ、今日は気分が優れなかったから「たまには独りでゆっくり食事させてくれ」と言い返し、さっさとキッチンを離れるつもりになってた時。ふと、最近の鍋炊き炊飯(すいはん)で出来た、僅かな『お焦げ』を使って、自分用の食事のために焼き飯(チャーハン)を作り置きしようと思いつき、食卓で母と膳を並べないにしても、そういう形で母を独りにしないようにした。で、母のことはどうでもよいのだが、そうして自分でこしらえた焼き飯が妙に美味しそう。「味見に一口でも…」と、思って口にしたら『あ、これだ!』と。これまでチャーハンの仕上がりで少し焦がしてみたり、ネギを焦がしたり、スモークフレーバー要素のあるウィンナーを用いたり、勿論チャーシューを用いたりしてもどうしてもそうならない、私の「チャーハンイメージ」にあった『香味』がそこにあったのだ。本当にただの独りよがりけれど、時には自分を褒めてもいいかな、と思い、自分の生涯の焼き飯(チャーハン)チャレンジについてのみ、一旦ここで今日のその焼き飯を「及第点」として自分に許すことにした。そして結局残さず完食。


関連記事⇒お米とお付合いemoji

想像と現実

想像と現実


私と幾らか歳の離れたある方から、私の知人に向けたメッセージの仲介を頼まれた。そのある方が実際このブログを読む可能性もあるだろうし、それぞれのプライバシーに関わることもあるだろうから、それら話題の内容はここには示さない。そのある方の話を暫くお聞きすると、語られる様々なことからそこに私も関わる会話の描写や内容が登場してきたのと、実際の私にその話の通りの言動や関係の事実がないために、ある方の話される内容に想像が混在していることが、段々浮かび上がってきた。私がここで言いたいのは、どんな想像でもそれを想像する個人にとっては、当人の現実にその想像が混在しようがどうしようが、その者が「真実である」ということを選択すれば、その者の考えや体験の中では想像さえも真実に成り得る、ということである。私は心理学や神経学の専門家ではないから、何かを断定したり詳しく述べることはできないが、私の体験レベルでみて、当人による想像、その想像交じりの話が当人にとって真実のこと、となっている様をリアル体験したことはある意味衝撃であった。私が今できることとしては、メッセージの仲介自体をする以前に、私とそのある方との信頼関係構築がまず第一にあり、そのためには一方向的なメッセージ自体を横流しするよりも、そのある方との対話を継続することではないか、と判断した。こういった私の判断の流れもその場でそのまま当人に伝え、自身を省みていただき、時がたってからまた私に連絡するよう、ある方に促したところまでで本日は留めておいた。


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お米とお付合い

お米とお付き合い


炊飯器が壊れた。もしかして20~25年位もったのかな、随分頑張ってくれた。壊れたその日は鍋炊きをした。無水鍋に近いデザインのステンレス製鍋があったから。山での飯盒炊爨を幾度となく経験しているので、大体の鍋で炊飯が可能なことは知っている。ところが。壊れてから一週間たつ今現在も鍋炊きを修行中。日々炊飯しながらどうしてもカンでお米と水分量の具合を計れることをマスターしたくなったのだ。お米を炊く場合の容器の大きさや質、火力の調整具合、新米と古米の配分等微妙な調整は結構難しいのが炊飯だ。ところが上手に炊けると炊飯器のご飯とは随分何かが違う感じに仕上がるのも鍋炊きの不思議だ。ネットで炊飯器即日納品も可能な昨今、ぽちっと購入したなら、お米とその炊き具合との付合いは一生なかったかもしれない。もう少し、飽きるまでチャレンジしてみようと。


鍋炊き=釜炊き(ゆくゆくは)emoji

自尊心の度合い

自尊心の度合い


自尊心が自然に備わっている者には多分中々理解し難いことで「自尊心の低い者のあり方」というのがひとつにある。私が何をどう言える立場にはないが、たとえば身の回りの人間関係において「強がりばかり言う者」とか「過剰なほど相手を攻撃する者」とかは、一見強そうであったり、自信ありげに映ることもあるだろうけれど、本当にそうかどうかは「中々怪しい」と感じることは少なくないか、とも思い当たる。もちろん「自尊心の高低」=「自信の有無」とは限らないだろうし、周りからの見え方と実際の当人はどうか、は一概には言えないし、さしあたってまずは当人の問題である。こんな書き出しで、何かを明確に言えるものでもないが、ある人がこんなことを言っていた。「自分のことばかり考えるから自分がツラくなる、死にたくなる」「もうこれからは他人のために生きよう」と。私は、この言葉を聴いて、確かにそれで一時的に楽になれることもあるだろうな、とも思うが、この言葉の裏には、それを言えてしまうある人にとっての「自分」や「自尊心」の高さ、持っている自信の強さをある意味感じなくはないが、それがどこか儚いような、また、脆いかのようにも思えた。成功ばかり、失敗ばかりでも偏ってしまうところに「自尊心の高低」やそのあり方の自覚にも中々難しいところがある。よって他人の「自尊心の度合い」についてもそうそう語れるものではないんだな、と。


関連記事⇒自尊心emoji

そうだ

そうだ


先ほど眠くなって寝かけたけれど「そうだ」と、思って一旦起きてこのメモブログを書いている。いや、特に何か書こう、書き忘れた、とかがあるわけではなく。ただ、もう少し前の時間に何か書こうとたまたま思ったとき、その時は書くことが思い当たらなかったので、書かなかったけれど、それはそれで思い残す感じがあるにはあった、そんなこともあり。こうした、とりあえず「書く」ということで何か達成感を得るような私ではないと自分では思うが、無意識の内にはそういうこともあるのかもしれない。さて、これでこのまま目覚めるか、また眠くなるのか。何か時間を持て余すことでこうしているのではなく。


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