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Ryoji Suzuki Memo

memoRyoji Suzuki image (メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒ねむれないあなたへ

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ブロッコリー・ペースト

ブロッコリー・ペースト


昨夜スーパーで仕入れた新鮮なブロッコリー。他の仕込みにとらわれうっかり煮すぎて柔らかくしてしまい『失敗したな~』と思ったが、湯切りし、スプーンで砕き、オイル・ペパー・ビネガー(酢)・マヨネーズ・岩塩を加えて、更に練るようにかき混ぜたら「ブロッコリー・ペースト」になった。刻んだレタスをコールスロー風に仕上げたものに「ブロッコリー・ペースト」を添えてみたらどことなく高級な感じがするサラダに。失敗が元で、思いもよらぬ実に美味しい一品になってしまった。


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末世

末世


平穏に暮らせているか。のほほんと暮らしているか。ギリギリの日常か。時を追いかけるか、差し迫るものがあるか、あきらめの日々か、それとも夢溢れる毎日か。どれかひとつ、というわけではなく、生あるその瞬間には、誰もが何かしらあてはまるところに居るのではないか。世の偉人達が嘗て声を揃え予言しているのが、この現在のこと、所謂『末世』である。我々はもの凄いスピードでこの今の世を体験している。では『末世』とは何か。一般には「仏法が衰えた時代、道義の廃れた時代」という解釈にある。言論上の表現は過去の産物でもあり、どこか儚い。が、要は「世の末」のことであり、転じて「新しい世がくる」つまりは『新しい世を創り出す』という他ならない。


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旋律の夢

旋律の夢


「メロディの夢」でも「夢のメロディ」でも、どちらでも。今実際に取り掛かっている楽曲のメロディが睡眠の夢の中で流れる。大方その旋律自体に変化がなくとも、夢の中ではあらゆる環境が異なるがために、現実とは違った感覚が目覚めと共に残る。環境といっても現実のそれとはちがい、現実で頭で考えるようなことが一切省かれて、例えば、その楽曲の主人公のような役割の者が存在し、あたかも、「ここの旋律をこうしてほしい」「ここの旋律に着目を」といったような、指令や指示みたいなものを授かるのでなんだか不思議な感覚。「夢とは身体が眠っていて、脳だけが働いているようなシステムで見るもの」というような、おぼろげな知識で振り返ってみても、現実の思考とはまったく違う思いもよらぬ方角からメッセージを頂戴することが夢の世界にはある。楽曲は私の現実に夢を託すのか。


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和音

和音


「和音について」ということなら、もっと構えて専門的な視点から書くべきか、とも思いつつも、日常の自分の気持ちで感覚として時おりよぎることから「気楽に取り扱ってもいいよな」そんな思いで書いてみる。和音に関するウンチクよりもっとストレートな表現を試みよう。和音の呼び名において一般に親しみやすいのはコード・ネームだろう。CとかGとかFとか。私の感覚では、「G7sus4」とか「Am7」とか「Cadd9」とかこのあたりのコードが、織り成すひとつの風景や抽象イメージとして、普段の生活イメージの中でも主格を取り囲んでいる、それか物事の隙間を埋めるのに常に鳴り響いている感覚がある。もっとも主格によりその物事の橋渡しや、時と時を結ぶのに垣間見る「ある感覚」としか表現できないものでもあるが。「Fmaj7」にしろ、「Fadd9」にしろ、C~Fへ、F~Gへ音の世界をつなぐ際、両方の領域が混ざるところでの表現に相応しいコードなのだが、主旋律をストレスなく導くようなために存在すれども、その勢いが勝ると主格をぼやけさせたり、その行き先を迷わせたりする。こういったことが私の思い込みに大変強く作用するところから、それら音の世界と普段の生活のコントロールに若干食い違いを起こし、それらが玉にキズ…いや、随分な欠点となっている気がするな、とも。


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大切と大事

大切と大事


「大切なもの」や「大事なこと」など。私の中では「大切と大事」はほぼ同意としてその言葉の意味を扱っており、音的には「たいせつ」の方がしっくりくることが多いため、ほぼ同等な意味合いの場合に「大切」と記すことが多くなっている。そのため、流れの上で「大事」という記し方をされている文書を目にすると、執筆者が私と対象的な意味でその言葉を扱っているか、その中でも使い分けているか、など、私の思い込みも加え時おり気にもなることもあったりしたが、大方その文書の意味合いを取り違えるとは考え難いこともあり、これまではあまり気にしないでいた。だからといってここで特に気になることがあったわけでもないが、今朝はたまたま調べてみる気になり、「大切」と「大事」について簡単に検索をした。ひとつは「大切」と「大事」。もうひとつは「大切な人」と「大事な人」。こうして改めて調べてみると『なるほど』だ。勉強になった。


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生き物

生き物


『生き物』と書いてみたが、実は「動物」と書こうか、と思ったものを思い直して『生き物』と書くことにした。書き出すのに「動物はかわいい」と思ったし「動物はモノを言わない」とも思った。『生き物』とすると人間も草木も生き物だ。私は地球も生き…いや、なんか地球をモノとは書けないな。「地球は生きている」と書くことにしよう。で、話をもどそう。動物はモノを言わないけれど、意志はあると私は思う。人は色々考えるものだから、動物に対し「カワイイ」「愛しい」と思うし、ときには叱ったり、何か動物への行為や、至らなかったことを省みて動物に対し「悪いことをした」と思ったりする。表情豊かな動物もいるだろうし、一向に表情にあらわれない、あらわさない動物もいる。それでも私は動物に意志はあると思っている。たとえば、元々野原を駆け回る習性がある動物なら、ペットとして飼うときの檻や、自分の部屋で飼うとき、その動物の性格によっては、外に出たがることは道理だと思う。猫や犬は都会や街中の環境で家の外に出てしまうと、色々な問題が起きるので、散歩をさせる以外は外に出せなかったりする。私は部屋で猫を飼っていた。しきりに外へ出たがることがあり、それを見るたびにいつも考えさせられた。数回は脱走したが、そのとき世界をどんなふうにみただろう。人と動物の共存には人間特有の様々な理由や事情はあるだろうけれど、ときどきこんな空想をしてしまう。檻のない世界。自然に人のそばに動物が寄り添い、また人も忙しくなく、ときおり動物と並んでくつろいでいる世界。ただただ草木にかこまれて。みんなで生き物だ。


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母と息子の会話

母と息子の会話


母は高齢である。新しいことはあまり覚えられないが、古いことはよく覚えていたりする。健康状態は良好。いい加減なところもあるが全体は明るく益々ポジティブ。食事は私が作っている。一緒に食べないと途端に母の食が細くなるので、なるべく一箸でもつけるようにしている。私の食欲がないときは料理をしながら配膳することで一緒であるよう時間稼ぎをしたり、一緒な雰囲気であることに努めている、できる範囲で。2月のある日に母は私にこう言った。『近頃、世間っていったいどうなってんのかしら』。私は口の利きようが大変に乱暴なので、ここでは私の返答のみ少々柔らかく書く。「うん、世間はみんなすっとぼけているよ。母さんみたいにシャッキリしていないからね」『え?私だって・・・(はっきり言わない~そりゃそうか)』『ね、あの・・・』「ん?」『この料理、なんだかホンワリした味だね…』「あー、そうかい?」「母さんみたいなシャッキリした人には、まろやかなホワイトソース(ミートボールクリーム煮)は物足りない味だろうね。無理せず残してね」『・・・』『少し休んでホンワリしてから食べようかな…』返す言葉がなかった。その時の母には「中々やるな」と思った。


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