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Ryoji Suzuki Memo

memoRyoji Suzuki image (メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒ねむれないあなたへ

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掃除

掃除


掃除するのは当り前だけれど、中々掃除できない私…など、恥晒しにもなるのであまり書きたくないが。しばらく前からとにかく家中の掃除がしたくて、やっと手をつけだした。まだ終わりそうもないが、どんどん掃除していこう。片付いて、キレイにできると、次にどうしたいか、いろいろ思いもあるので、季節が暑くなるまでにはカタをつけよう。そしてその後今度こそ散らかさないようにしたい。と、それが夢物語にならぬよう。


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飛翔

飛翔


実に大きな鳥だった。その大きな鳥が小高い台地から大空へ羽ばたいてゆく夢をみた。鳥の背中には小さな子供がしがみついていて、ながらも嬉しそうに歌を歌っていた。自由に大空を飛び回りながら、大きな鳥も小さな子もやがてひとつになって見えなくなってゆく。私はなぜか物悲しくて涙が出た。その小さな子はあるいは私の夢の中でときおり泣いていた子のようだった。私には子供がないし、想像にすぎないけれど、子供が巣立つときの親の気持ちには、この私の夢で私が感じたような気持ちもあるのかな、など思ってみたりした。こんなことを思うときは、どんな人にでも幸せになってもらいたい、そういう気持ちが溢れてくるし、「ありがとう」の気持ちで満ちてきます。


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頑張る

頑張る


頑張りすぎた。楽譜を書きすぎた。作曲に集中しすぎた。やりすぎだ。作業や制作にはスパンというか、ピッチというか、そういうのがあって、区切ることを上手にやらないと、オーバーヒートとかオーバーワークになる。質の良い、効率や能率の良いことを求めるとすると、一期に集中、入り込むことをやりきるか、それかプランニングを上手に組んで長期化を覚悟し、ペースを厳しく管理する必要がある。どの道をとることもできるが、どの地点でも起こりうるイレギュラーなことからも思わず作業に拍車がかかったりする。失敗とか成功とかそういうことは今ここの話では取り上げていない。どの道にも新しい発見が必ずあるし、また掴んだモノを離さずに突き進むのなら、得るものや辿り着く何かに遭遇することはできる。それら新しい発見があったり、見つけたクリエィティブなものをわし掴みにして分捕る手応えがあるのは、それはいいけれど、それを手にした結果、やりすぎ、頑張りすぎ、という結果を伴ってしまう。


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思い違い

思い違い


自身の仮説|『思い違い』とは、自分(ここでは私の)の普段使用する「思い込み」の同義語ではなく、自身の中で起きている「思うことが既に違っている」のことではないだろうか。この閃きは以下に記した考えから閃いた。そもそもモノを言わない自分の身体が、自身の本当の「実際の感覚を司っている」と先ずは考えてみた。実は人間(ここでは私)は、身体で感じるその感じを脳が思考変換して、それを時には言語で表す、とした場合、本質の「私の身体の言いたいこと、感じていること」と、私の実際の表現が異なってしまっている、それこそを「思い違い」と言い表してよいのではないだろうか。←|この「仮説」はただただ「閃き」をメモした。一般に言う、正誤のことや、言葉の本当の意味についての照合はしていない。自分の普段で言う「思い込み」自体もここでは明確に定義していないので。もうひとつ加えれば、私自身が普段感じていながらも、その「とある感じ」を言い表そうとした際「適切な表現が見当たらない」ということが結構多い、ということも添えておこう。


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沈む

沈む


沈む日。沈むなりにも自分がいる。少しだけの時間、本当の自分がそこにいた。沈むように自分自身が感じている理由は見当たらないけれど原因はどこかにあるだろう。元気とかいうものがまったく存在しないとき、元気な自分はカラ元気にも思う。それが本当はどうなのか、沈む自分にはまだよくわからない。


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いろいろ

いろいろ


自分のこと、色々気付いたりすることがあって。目の前の景色が変わる。いろんなことの輪郭が浮き出てくる。また、陰に潜んでいた自分もでてくる。今日は朝から技術特訓の一日、そこの集中を自分に課した。でも全然できていない。量をやっても質をあげてもダメ、自分が許してくれない。こんなやり方じゃまた自分の何かが潰れる。潰れる、といっても多分中々潰れずに段々ボケボケして崩れてくるのがいつものパターンだから…んーそーだな、まず寝ることが大切なんだろうな。うむむぅ。


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順序って大切

順序って大切


自分の視界の狭さや歪みを知りつつある。どれだけ多くの人の在り方や気持ち、感覚を想像できても、実際は己の頭脳や知識範囲内の想像でしかない(ここで注意がいるのは「実際に知覚や感覚を伴った経験」という根拠があったにしても、それを無意識に思考変換したものなら、知識や考察・検証の当該化になってしまっている、ということなども)。それはたとえある人の「在り方、気持ち、感覚」を言い当てることができた、としても。また、言い得ずともある人の気持ちや心の痛みを十分に感じられた、としても。単に言えば自身が相手そのものに成り得ることはない。前述したたとえは、どこまで追求しても、ある人に対して演じるいわばその相手風な自身のイリュージョンもしくはコピーであって、それをあくまでも己が完璧に仕上げるのならそれは一つの特技ということだ。そのような錯覚に近しい自身の投影を自ら相手そのものにすり替えるほどのことができるなら、それは役者という一流の専門家にも成り得るかもしれない。人が人としてごく普通にあるだけのことなら、相手に自身を投影することより、相手のことの想像をするよりなにより、まず自分を知ることと、自分のことを相手に伝えるところから出来るようになればいい。そしてそこに想像は不要、まずは『今』自分がどうか、ということからだ。そして本当にそれができるのなら、相手の気持ちを考えたり、さらにもっと自分を知ってもらうためにも相手のことを知ろう、そういうことも意味を成してくるのだろう。と、思ったのが今朝の私です。


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