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Ryoji Suzuki Memo

memoRyoji Suzuki image (メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒ねむれないあなたへ

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目覚め

目覚め


前回前々回と夢見に関することを書いたが。今回、夢の記憶は目覚めと同時に消えていったが、その目覚めでハッキリと描かれた『楽曲のアレンジ』が寝起きのイメージに残った。そのイメージを崩さないよう、落ち着いて体を起こし、又寝しないように段取りを。『楽曲のアレンジ』とは、今取り掛かっている楽曲のイントロの、パートごと・旋律ごとの細部までがイメージされているもの。ドラムに値するのはスネアのロールでのマーチング奏法である。主旋律はペダルスチールギターによるもの。ボトルネックやアーミング奏法でまかなえるだろう。コード和音はアコーステックギターとコーラスの複旋律で。またベースによって、コードの骨格を押さえる。いまのところ8小節の長さのイントロだ。さて、それを再現するのにMUSESCOREを立ち上げ、4つのパートに記しおさめた。準じて曲中の転調などのイメージも加わってきた。この後どうなるか。


関連記事⇒旋律の夢emoji
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北海道の雲

北海道の雲


私にとって今だ未踏の地である北海道。前回記事で「夢見」について触れたが、あまりにもハッキリ覚えているので夢の表現描写を試みる。近所の懇意にしていたある自転車ショップでのやりとりから。~前略~『その予備タイヤには必ず手作りの注連縄をかけたものだよね』「そういえばそうだったよね…9~10月には毎年用意していたね。今はその注連縄を手作りしていた園芸店は閉店したので最近は忘れていたよ」「あ、鈴木君の関係者じゃない?…何か音楽の関係者があそこにいるよ?」『え?ちょっと行ってみます』見覚え無き紳士風の方が数名。『はじめまして…何か…』「ええ、私どもは北海道のあるところでコンサートをしてきたのです」「場所は…網走・知床半島方面の…大変に景色のよいところで涙がでますよ」この会話の時点で私の居る場所は北海道であった。私はこう答えた。『ホント、そうですよね』『私はあのような雲を今こんな間近に見て…そばに感じているだけでもう涙がでちゃいます』。あのような「雲」とは、最奥には阿寒岳あたり、その遠方から斜里岳や羅臼岳にかけ、大空に弧を描くようにピンクと白、オレンジ色、グレー色のしっかり固まった、まるで超巨大ドーナツが~イチゴホイップとマーブルチョコ、オーロラ模様のグリグリしたドーナツ状の「雲」が。ふわふわと、ゆ~っくりと動き、手の届きそうな窓の付近まで垂れさがってきている、それは北の低温地帯でしか見れないもの、そんな夢だった。まだストーリーは続くけれど、書くと長編化してしまうので前後は割愛で。


園芸店⇒実際に自転車ショップに併設していた園芸店emoji

リセット

リセット

ここしばらく「睡眠が浅いのではないか」ということを、朧気にも考えてみた。目覚める度の疲労感が無きにしもあらず。シャッキリしているようで、思考が複合しているような感覚で、言語表現が伴わない感じでありながら思考の個々の感覚自体はあって、ながらもどことなく意識や挙動に至るまでの切れ目がない。寝起きにはっきりしている夢の記憶があり、その感じでは、おそらく体外の物音に反応していても、夢の中では自発する音声や行動に変換されてしまっている~この妙な自覚ある繰り返しと、睡眠時間が少ないわけではないので、身体は休めているんじゃないだろうか~と考えてしまうのと・・・でもダルさもある、という実際。このようなほとんど『混乱』と言えそうな自己分析さながらに、こうして書き記すまでに至ったのは「リセット」という表現が浮かんだことがきっかけに。で、実際何を「リセットするのか」という具体的なイメージはないけれど、今言えることは「リセット」という表現にはどこか拠所となる思いが自己の中にある「落ち着き」の一環を成しているのだろう。我ながら妙な遊び心のひとつなのかな?などとも。


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体感

体感


例年に比べ気温が低い、そう感じる。そう思ってみたら「年々段々暖かくなっている感じ」を、思い出した。そう思い出したら「少しずつ暖かくなっているとしたら、気温が下がることに敏感になるだろうな」と、思った。そうして、とどのつまり極端に気温が低いわけではないのだろうか、と考えてみた。さらに「自分の感覚や体温調整自体の低下(稀にはその逆)」ということだってあるだろうな、とも考えてみた。いつもなら、この思考遷移のどこかで、気象庁などの実際のデータを「調べてみる」という行動に移るだろう。けれど、今はここまでの感覚や思考をここに書いただけで、一旦この「体感」のことから離れることにした。自意識的に意味付けをしないような意識で。


参考⇒自意識自意識過剰emoji


ブロッコリー・ペースト

ブロッコリー・ペースト


昨夜スーパーで仕入れた新鮮なブロッコリー。他の仕込みにとらわれうっかり煮すぎて柔らかくしてしまい『失敗したな~』と思ったが、湯切りし、スプーンで砕き、オイル・ペパー・ビネガー(酢)・マヨネーズ・岩塩を加えて、更に練るようにかき混ぜたら「ブロッコリー・ペースト」になった。刻んだレタスをコールスロー風に仕上げたものに「ブロッコリー・ペースト」を添えてみたらどことなく高級な感じがするサラダに。失敗が元で、思いもよらぬ実に美味しい一品になってしまった。


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末世

末世


平穏に暮らせているか。のほほんと暮らしているか。ギリギリの日常か。時を追いかけるか、差し迫るものがあるか、あきらめの日々か、それとも夢溢れる毎日か。どれかひとつ、というわけではなく、生あるその瞬間には、誰もが何かしらあてはまるところに居るのではないか。世の偉人達が嘗て声を揃え予言しているのが、この現在のこと、所謂『末世』である。我々はもの凄いスピードでこの今の世を体験している。では『末世』とは何か。一般には「仏法が衰えた時代、道義の廃れた時代」という解釈にある。言論上の表現は過去の産物でもあり、どこか儚い。が、要は「世の末」のことであり、転じて「新しい世がくる」つまりは『新しい世を創り出す』という他ならない。


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旋律の夢

旋律の夢


「メロディの夢」でも「夢のメロディ」でも、どちらでも。今実際に取り掛かっている楽曲のメロディが睡眠の夢の中で流れる。大方その旋律自体に変化がなくとも、夢の中ではあらゆる環境が異なるがために、現実とは違った感覚が目覚めと共に残る。環境といっても現実のそれとはちがい、現実で頭で考えるようなことが一切省かれて、例えば、その楽曲の主人公のような役割の者が存在し、あたかも、「ここの旋律をこうしてほしい」「ここの旋律に着目を」といったような、指令や指示みたいなものを授かるのでなんだか不思議な感覚。「夢とは身体が眠っていて、脳だけが働いているようなシステムで見るもの」というような、おぼろげな知識で振り返ってみても、現実の思考とはまったく違う思いもよらぬ方角からメッセージを頂戴することが夢の世界にはある。楽曲は私の現実に夢を託すのか。


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