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Ryoji Suzuki Memo

memoRyoji Suzuki image (メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒ねむれないあなたへ

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想像の中の相手を想う【第3回】



その場やその時にはつい気づかなくて「事後に気づく」ことの多くある、「過ち」や「勘違い」は、それでも電話やメールでお詫びをすることがあるし、日常で再会する人間関係ならば、少し時が経ったとしても「この間はごめんね」と相手に告げたなら、仮に相手が体面的な気持ちにあったとしても相手から許して貰えた記憶はある。余談だが、相手自身も含む気の置けない複数人間関係の集合の場でのそこでの私の振る舞い、言葉、行動で、私自身気づかず、相手の気に障ることがあったようなケースなどで、それでも私に対し事後に「指摘」してくれる相手も居り、そういった場合は本当に有難い。【第1回】【第2回】そして今回と、表題を『想像の中の相手を想う』として書き始めてみて、ここまでは自身の「心の内」のことを、特には「相手に悪いことをした」という視点のことについてのみを綴ってきた。その中で私が自分自身に特に気をつけておきたいのは【第2回】での「多くは自分自身に非がある」という、自分が自身に向けてそう言うこととなっているその根拠がいったい自分の「何にあるか」が、本当は「最大のネック」と思いながらも、その詳しくは後ほどじっくり自身に対し触れていくこととしよう、それらの記述はまたいつか。さて、本題に続く。相手がいる場合には「悪いこと」のみならず「良いことをした」と思うことも時にはあるだろう。その「良いこと」のうちには事後に限らずことの起こる前に「良いこと」を想ったり「相手の喜び」を想像したり、よく知る相手なら相手にとっての「嫌かそうでないか」が、相手との付き合いの中で自己に自然に備わったり、と、そういった互いの人間関係としての「何らかの感覚」が自身の気持ち、もしくは相手の気持ちを大きく占めることとなってゆくのも人の心の普遍なことなんだろうな、と自分は思っている。そこには「思いやり」などという表現もあるのだろう。ここでひとつ今回自分として大きく踏み出したいのは「相手を想う」というところのことだ。次回で【最終回】


次回に続く|想像の中の相手を想う【第1回】【第2回】emoji

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