memo
(メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒
ねむれないあなたへ
苛々
『苛々(いらいら)』していないとき、自分が『苛々』している感じを思い出せない。『苛々』しないわけではないけれど、あまり『苛々』しない私は『苛々』するときのあの『苛々』感にはなにか独特の空気感があるような気がして、「それってなんだっけ?」と、ふとおもった今、ついこんなことを書き出してしまった。『苛々』するのは、そこに潜む外には出せない自分の「怒り」の感情を抑えているときとか、本当の感情を抑えているときに「カムフラージュした感情」として『苛々』という感情になってでてくる、という心理的な説明があるのだけれど、そのことがなんのことを言っているのか、実はよくわからなかった。たまたま今、冷静な今、『苛々』したとき、そのあとついに「怒る」という、セットになっているイメージをぼんやり思い浮かべたら、「ああ、そうだ」「苛々すると、そのあと、ついに怒るよね」って、自分で思ってみて、「ああ、なるほどなるほど」「あの本当に怒る直前の独特な感じ」「それが『苛々』なんだ」と、気づいて、それが、心理学的な言い方で言うところの、「カムフラージュした偽の感情」というのを指していて、それをひとつには「
ラケット感情」って、呼んでいるんだな、って、突然こんなときに実感した、今の私でした。
PR
Ryoji Suzuki への連絡
メールフォーム
頂戴しましたメッセージの確認及びお返事のご用意にお時間もしくは日数がかかる場合がございます。
http://ryomemo.sankuzushi.com