人生は楽しくもあり辛くもある。人になって生まれることを選んだ私たちには、その選んだ記憶を辿ることができないが、人として生きることを何はともあれこうして続けている。大概のことは楽しめなくても、やることもやめることもできるし、大概の辛さもなんだかんだ言っても我慢したり、耐えたりすることができるのだろう。楽しむことに拘るのも、辛いことに執着するのも、その辛苦喜怒哀楽という感情は私たち自身、自ら選択しているのであって、強制されることでも、運命でもなんでもない。人が「孤独」を恐れず「死」を逃げることなく見つめるのなら、その時から「生きることを選んでいる自分」に初めて気づくことができ、自分という『人生』に責任を持つことができるように成れるのかもしれない。
・・・と、思っている自分の「今」だよ
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