私は高校生のとき「物理」学を選択していた。学校で教わることで、世の中の全てのことを知ることはないにしろ、学校外での一般的、もしくは学習的話題でも、「理系・文系」などカテ分けが前提となることも少なくないような気がしている。自分がモノを書くようになってから、時折用いるようになった表現のひとつに『物理次元』という言葉がある。この『物理次元』という表現を、「書き物」「会話」に関わらず自分は用いている。『物理次元』などという表現は物理の授業でも聞いたことがないし、先生から語られたこともない、と、記憶する。自分的には『物理次元』という表現は自分の造語、もしくはイメージ表現である。何かのときに聞いたことはあるだろうし、友人との会話等でだれか友人が用いていたのかもしれない。そもそも自分が経てきた一般的学習体験(私は大学には入学していない)では、その先生からも、「一次元」「二次元」「三次元」などの「次元」の定義に関する説明をきちんと受けた記憶はほとんどない。従って、これら「次元」に関する情報は、今ならインターネットの検索やYoutube動画などから、自然に得た知識のほうがその知識の範囲内を広く占めていそうだ。さて、自分が時折用いるその『物理次元』。ここでの「物理」とは、身の回りで体験する、ほとんど全ての物理現象を指している。そして「次元」とは、「次元」そのもののきちんとした定義より、身の回りで体験する物理現象以外のなにかしらの感覚や思考、勘、はたまた心のことや精神のことなどに言及する必要を強く思うときに用いている。つまり『物理次元』を用いるような場合の表現の中には、その自分が想像する『物理次元』という制約を超えたところでの「何か」を訴えたいときに用いている、いわばひとつの「境界」「制限」「一般常識としての定義の範囲」を架空設定するようなイメージでもって、その表現『物理次元』という言葉を用いているのだ、そんなふうに自分のことを思ってみて、今、それをここにメモしてみている。
四次元とか五次元とか多次元空間とか
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