自分の『存在』について、漠然ではあるけれど、書き表してみよう、と、ふとメモをとった。この『存在』という表現については、相当深いことにも立ち入れるだろう、なので、今後ももしかしたら何度か、同じようなことを書こうとしてしまうのかもしれない。今のイメージでは『存在』に対し、「役割り」ということがなんとなく心に引っかかっているので、その「役割り」を取り払ったところの自分を見つめてみよう。「役割り」を取り払うとは、どういうことか。それは社会的な地位であったり、自分の仕事、家族上の役柄や、大きくみれば「国民」というところも「役割り」と言えるかもしれない。これら「役割り」を取り払うのなら、それは「ただの人」であったり、性別をも取り払うなら、単に「生きている」になるし、そういった「ただの人」や「生きている」というだけで、自分に対し何かを「感じる」のなら、どうやら『存在』している、ということだけに辿り着けたかな、など、ここに書き表した今の自分である。今、自分は『存在』していて、ここに何かをこうして書いている。「ただ生きている」ということだけなら、その表現に思考を伴なうと、「無能」や「無駄」とも言い表したくなるけれど、これまで「役割り」に拘り、「役割り」を意識することで、なんとか『存在』を肯定していた自分に気づくと同時に、その「役割り」を取り払ったところでも自分の『存在』していることに変わりないことに気づいた今、なにか大切なことに気づきつつあるような気がして、そういうのが、普段の「無茶」や「無理」の制御、抑止になるかもしれないなぁ、という思いを、こうしてメモをしておきたかったんだ、そう思う今です。
Impasse Layer(五層一核|
パールズ)
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