野鳥
調べものに頼らず、自分の記憶やイメージ、知識だけで記してみる。群れからはぐれた野鳥が一羽。おそらくその野鳥は生きてはゆけない。又、はぐれるには相応の原因があったろう。身体が弱いとか、人ではないからなんとも言えないけれど、心の何かが仲間とは少しだけ異なっていたか。脳の回転が仲間より早いとか、動きが速いとかだって、そのバランスによっては、はぐれるなんらかの原因となるだろう。ある、はぐれた野鳥の雛が人の手で育てられたとする。その野鳥がその人の世界に稀にも順応できたなら、野鳥ではなく、籠の中の鳥として出来る限りの生をまっとうするだろう。もしくは、種族的性質上人の世界への順応は難しく、成長してから野鳥の群れに返すとする場合、人の世界から野生の世界へ順応出来るかどうかは、その育てた者の育て方によるだろうし、またその野鳥の頑張りや体力、精神力、野性的本性のようなものに期待するしかない。鳥の世界のことなら、こうしたイメージまでなら人として考え持つことができる。では人間自体はどうだろうか。自覚なく幼き頃、または出生前に本来の群れからはぐれ、異なる群れで育った者がいたとして、その者は元の群れのことを知らないし、周りの者は何も知らない。周りの者はどこかが、何かが自分と違う。周りで気づく者はなく、常に自分だけおかしい?としか思えず。しっくりこない、なぜか居心地悪い、いつも居場所がない、何かが足りない、なんだかわからない、誰もとりあってくれず、誰にも話しようがない・・・そんな想像がめぐる今朝。
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