前世
自分が生まれる前に、自分の存在した世があるとするなら、それは前世だろうし、もしその前世で、今、実際私がこうしている「自分の在る世」を知っていたならそれは来世である。特に調べないが「前世・来世」とは、たぶんそういうことだろう。この様々な想像をかきたてる「前世・来世」に基づいた位置からこの世を見るとするならば、この人間界において前世の記憶がないのはまずは当然のことだから、こういった話を書いていること自体、非難、批判の対象となる場合と、受け入れてもらえる場合、それと論外、それか〇〇〇〇扱い、といったことも起こるかもしれない。いずれにしろ、実際の私が何がどう変わるわけでもないので、私がどう書こうとどのつまりは大したことはない。私は今『ある選択』に悩んでいる。私が音楽を「する」のに、私自身思うにきわめて恵まれた環境下にある中、私はそれに没頭していてよいのか、それとも人間として体験することをどれだけ、どれほどを受け入れながらそれを「する」のか。人間の寿命はおそらく限りがあるだろうし、いったい前世の私はどんな目的をもって私をこの今の世に導いたのだろう、と。人間を介しそういったメッセージを欲しようとしても当然ながら通常ではほぼ誰からも答えはもらえないし、もし声に出すなら、こうした人である自分を苦しめることほかならない。
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