自分に対して『約束』を試みた。「自分が苦手とすることがあっても自分を見失わない」「自分が苦手とすることがあっても自分を責めない」「しかし、逃げたくなったら逃げてもいい」と。上述の「~があっても」は「~が起きても」に置き換えてもよい。本当に追い詰められたなら「逃げ道」を塞いではいけない。「自分のこと」として書いてみたけれど、任意の相手の立場にたって、これらの感覚についてもしか共有することが可能なら、それは大切な『約束』としての役目を果すかもしれない。「あなたが苦手とすることがあってもあなた自身を見失わないで」「あなたが苦手とすることがあってもあなた自身を責めないで」「しかし、逃げたくなったら逃げてもいいんだよ」と、こう言えるとき、こう思えるときには、「自分を見失う」「自分を責める」ことを自身にする様が既に自分に見えていたりする。そうすると「自らの自身の否定」に歯止めがかかる。
前回の記事「
否定」に関するメモ
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