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Ryoji Suzuki Memo

memoRyoji Suzuki image (メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒ねむれないあなたへ

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速度



ものすごいスピード、つまり『速度』で我々は「今このとき」をすごしている、体験している、そんなふうに聞いたことがあった。それを聞いたとき、自分がイメージしたのは「ああ、その通りだな」ということだった。過去や未来があって、その中心に位置する「現在」とは、「過去や未来」とまったく別な現象だよな、とも思ったようにも記憶する。今でも思うのは、その『速度』は計り知れない。地球時間の単位でその『速度』を表すなら、どのくらいのスピードで地球が自転していて、太陽系の惑星達と並び、太陽を中心にあるスピードで円運動を描いており、その太陽系自体が回転しながら回転する銀河系の中を移動している、そしてその銀河系でさえも、広大な宇宙の中をアンドロメダ銀河など様々な銀河と共に宇宙的距離感をもって微妙にもしくはダイナミックに近付いたり離れたり、なんらかの回転運動をしている、と考えられているハズだし、そのくらいの想像を「それら関連する現象にあててみよう」とすることはそんなに不思議なことでもないだろう。が、しかし、地球の学問で言うあくまでも『速度』の基準の数値を、時間の数値と共にあてこむなら、天文学的な数値などもあったりしても、それでも、その様を知識として知る事もそうは難しくもないだろう。ふと自分は思う。中世の時代に、「地動説」が唱えられる以前は「天動説」であったこと、それって、即ち自分中心のものごとの考え方であったんだろうな、と。今現在の自覚的に知り得ること、つまり回りも動いていて、その中のひとつとして自分のバランス感覚を人として身に付けられたなら、「自己中心」ということでさえも、認めていいんじゃないか、と。確かに地球は動いているけれど、その地球が自分の中心であることと、自分が地球の中心であることは、誰もが「そうだよね」って、認めていいんじゃないか、と。自分の『速度』、それと比較できる他人の『速度』に心奪われることなく、その『速度』の中心に位置しているのが「自身である」ということ、それが誰もの中でも起きている、それがどんな『速度』であっても自分次第のこと、という認識をするのもいいのではないか、と。


天動説とか地動説とかemoji
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