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Ryoji Suzuki Memo

memoRyoji Suzuki image (メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒ねむれないあなたへ

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まぼろし

まぼろし


これは聞いた話。「唯ひとつの現象である『大いなるすべて』が、唯一どうしてもできなかったこと、それは己は一体どういう現象なのか、つまり己を己の外から知りたい、ということだった」「したがって『大いなるすべて』が次に起こした現象は分裂であった」「我々人間の意識に、己ではない他人という存在があり、また他人からは他人に見える自分自身が存在するのは、我々自身、つまり『大いなるすべて』がそうした選択『己を外から知る』をした経緯でこのような現実になっている」という。つまり「自分と他人が存在する」ということのひとつの証として。そして且つ「まったく同じ、という魂が2つ存在することはありえない」とも。これはある聞いた話を自分の言葉にしたものだからアバウトな解釈なところは申し訳ない、また自分の記述、表現に際し調べものもしない。ここまでを借り次に私の思いを綴る。前述のことが「そうなのだ」とすれば、自分から見える自分でない相手の何等かのことや、自分の心を相手に伝えることは、それらはそのまま私自身の真の望み、ということになる。現実、自分と同じということのありえない相手の心はその相手にしか理解できないのだから、これは裏を返すと、自分の心がどうなのか、を、まずは知るのはもちろん、その先の主題、それは、相手に対し相手が理解できる状態にまで自分の心がどうかを知りそれを実際相手に伝える、ということが我々の本当の目的となる。もし生きていることが「何かの目的を達成する」ではなく「まずはその目的を知る」という段階の状態であれば、本質的には「何も知らない」ところから始める以外最適なやり方はないだろう。時折、人が自身の存在さえまぼろしのように感じることや、実存自体に淡い感覚を持つのにはこういったことも関係あるのかな、ふとそう思ったので。


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野鳥

野鳥


調べものに頼らず、自分の記憶やイメージ、知識だけで記してみる。群れからはぐれた野鳥が一羽。おそらくその野鳥は生きてはゆけない。又、はぐれるには相応の原因があったろう。身体が弱いとか、人ではないからなんとも言えないけれど、心の何かが仲間とは少しだけ異なっていたか。脳の回転が仲間より早いとか、動きが速いとかだって、そのバランスによっては、はぐれるなんらかの原因となるだろう。ある、はぐれた野鳥の雛が人の手で育てられたとする。その野鳥がその人の世界に稀にも順応できたなら、野鳥ではなく、籠の中の鳥として出来る限りの生をまっとうするだろう。もしくは、種族的性質上人の世界への順応は難しく、成長してから野鳥の群れに返すとする場合、人の世界から野生の世界へ順応出来るかどうかは、その育てた者の育て方によるだろうし、またその野鳥の頑張りや体力、精神力、野性的本性のようなものに期待するしかない。鳥の世界のことなら、こうしたイメージまでなら人として考え持つことができる。では人間自体はどうだろうか。自覚なく幼き頃、または出生前に本来の群れからはぐれ、異なる群れで育った者がいたとして、その者は元の群れのことを知らないし、周りの者は何も知らない。周りの者はどこかが、何かが自分と違う。周りで気づく者はなく、常に自分だけおかしい?としか思えず。しっくりこない、なぜか居心地悪い、いつも居場所がない、何かが足りない、なんだかわからない、誰もとりあってくれず、誰にも話しようがない・・・そんな想像がめぐる今朝。


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贈答品

贈答品


贈答品と一言で言ってもその意味の広さに驚く。手土産、お詫びの品、お中元やお歳暮など季節のご挨拶、お祝い事多数、記念日や誕生日のプレゼント、冠婚葬祭など様々だ。訳あって、ここ数日間そういった品々のサーチ、またはリサーチを繰り返している。自分にとって得意ではない分野であったので、今回意欲的に取り組んでみてもいる。で、受け取る相手の気持ちや好みを知っていたり、それを相手に訊ける場合はともかく。問題はそれが相手に訊けない場合、気持ちをある程度訊けても好みが訊けない場合、そもそもその相手と接触することがあり得ない場合でもそういった品々をお渡しするには、そういう経験がない中では未知の世界を探索するようなイメージもあって。


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処理中

処理中


現在、込み入った案件を処理中。色々な立場の人の、それぞれの立ち位置に立つのは中々難しい。けれども難しいとはなるべく思わないようにして、できるだけそれぞれの立場からものを見ようとし、自分の位置でも考え、ことをどうにか並べて判断してゆく。それでも係わるほとんどの人は善意ある対応をしてくれている。日々の学びを糧に着実にこなしてゆくしかない。


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地球

地球


地球は過去を乗せて宇宙を旅しているのだろうか。いや、それとも未来を乗せてどこか目的の場所へ行く予定でもあるのだろうか・・・なんて。久しぶりに小学生や中学生のころの疑問を書いてしまった。地球は今なだけであって、ただ今の連続なだけであって。たぶんきっと。過去はお荷物や学習の成果、すべては人の記憶の中に。未来は創造することができるけど、やっぱり人の意識の中なのかな。明日はどこにいこうか地球さん。


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シンクロ

シンクロ


もう身近な意味合いやイメージを抱くことも普通のことなのじゃないかな、という気がする「シンクロ」という現象。諸々の案件でお世話になっている方からもついにその言葉が飛び出した。それは「いろんなことが、まるで操作されているかのごとく同時に起こる」というものだ。そうしてその出来事からいくら自分が「こうしよう」と、予定していたことも、つもりであったことも、そのシンクロにかかわったり、かかわらなかったり、を問わず何気に納得してしまうような方向にことが進んでゆく。その流れを「覆す」も「流れにのる」も両方ありだ、と私は思う。その「シンクロ」と思しき現象を「疑う」とか「信じる」とか、そういうことではない、と思う。いずれにせよ、「自分で選択する」ということが『最も大切である』ということに、気づくことが大切なんじゃないかな、そう思っている。


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内側

内側


「外側」の守りを固めることは『内側』を守るためにも重要である。日本人ならば、そのあたりのことは一々口にせずとも感覚的なところで長年にわたり習慣付いている。が、ために、実は『内側』についての感覚が疎かになり易い。これは突き詰めてゆくと民族的な感覚や価値観の差異の問題にまで発展してゆくだろう。勿論今となっては既に現実の脅威とも隣り合わせにあることは、少しでも物事の本質を考える者ならば決して分からない話ではない筈だ。私は幸いにもこの『内側』について敏感な感覚を持つ者を知るがために、『内側』に疎い私でも、少しづつ『内側』について学び得ることが可能でいる。この稀な『内側』について敏感な感覚を持つ者には、得てして「外側」の慣習的な在り方そのものが、理解し難いケースも多い筈で、人間ならば費やすエネルギーの範囲にそうそう大差がないがために、当然「外側」との接点も『内側』を知れば知る者ほどその接点において距離が離れていくのも道理である。もしくはその『内側』を知っていても、この日本では、個人を取り囲む慣習的な壁が強固がために、その『内側』の在り方を育てることが難しい。もし、このことに気づくなら、本当はまずは自分の内側を知ることから始めなければならない。ところがもはやそれは難しいのが今の世だ。周りに『内側』を知る者があるならば、その人材を大切にしてほしい。それが何の事でどんな者か分からなければ、何とかして己の『内側』と接する時間を、機会を、真剣に取り入れてほしい、今朝はこんなことを思った。


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