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Ryoji Suzuki Memo

memoRyoji Suzuki image (メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒ねむれないあなたへ

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欲しくない

『欲しくないもの』を受け取った。相手にとっての生業を兼ねた趣味の産物だから、否定するわけにもいかず。以前に欲しくない訳を伝えたこともある。関連することを私も日々取り組んではいるから、複雑な心境。込めた思いがあるのだろうから、受け取る側の色んな事情や気持ちがあることを考えて欲しい。
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からだが選ぶ

答えは自分の内側にある。物事をどうするかより自分がどう動くか、つまりどうしたいか。それは選択。選択するのには、思考の前に選択できる自分を自分で知らないと。それにはまず深呼吸。次にポジティブな体験や愛、風景を思い浮かべ、穏やかになる、という一連の流れを、日々の練習で積み重ねること。

少しずつ

自分を観察する自覚のないことを自覚する。自分の声に耳を傾ける。どれも少しずつで、ゆっくりなことだけど、自分の何かを知り始める。自分は何が分からないのか、分からない自分を分かるようになり始める。そうすると、分かっている、分かっていようとすることに、一生懸命頑張らなくてよくなる。

自分の声

先日書いた『○○しなきゃ』。それを言う自分の声に耳を傾けると、中々大切なことも含まれている。よくよく聞いてみると『○○したい』『〇〇しよう』とほぼ変わりないことも混在している。そう言う自分の観察を続けると、時々による僅かな違いや、固有の流れがあったり、自分の癖にも気づいたりする。

モノにする

自分が自分の観察について書き出したのは3ヶ月前。3ヶ月経っても『はい、観察できるようになりました』とは言えない。自分のことについて、自分が何かを感じて何かを思い、それでも一歩一歩前進しようとするなら、一ミリずつでもモノにしていけるのかもしれない。生きるってそういうことなのかな。

前回の続き

そのことがどうであろうとも『体が先に動き出す』衝動が自分にあることは知っているつもりだった。そうできている時はそうしている。ここで取り上げたいのは『そうできない』とき、『そうならない』ときのこと。日常でそうなっているときは良くても、そうではないことには、自覚が伴っていないと思う。

したいかどうか

昨日、『○○しなきゃ』のオンパレードで笑ったことはともかく。『○○したい』『○○しよう』というのも、どうかと思っている。目覚めてまずトイレに行く。さっそうと歩きに出かけることもある。冷蔵庫を開けて何かを飲んだり口に入れたり。いずれも自分がどう思うかに関わらず体は既にそうしている。

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