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Ryoji Suzuki Memo

memoRyoji Suzuki image (メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒ねむれないあなたへ

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採譜

採譜


「楽譜を書くのは」「例えば」「感情や心といった」「必ずしも」「形のあるとは限らないものを」「自分以外の人に」「それを伝える手段として」「言葉や文字を」「習得し」「ある時は文書にして」「表現するような」という言い方をすることで自分が実際は『形のない』音を、楽譜で表すことを、任意の者へ説明したことがある。今回私自身がある楽曲を採譜することで、その中でこんな風に思った。「数人の画家が」「同じ風景を」「忠実に模写したとしても」「その風景は」「画家のとらえ方によって」「絵としては」「見え方の異なる作品となるように」「採譜によって」「表された楽曲は」「採譜した者次第では」「それを見る人にとって」「ある程度は異なる見え方になったとしても」「それはそれで不自然なことではない」と。
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先程~23時過ぎてから雨が大降りになってきた。あまり気温があがらないようだから雪になったりしないかな、どうだろ。


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オンラインコンバータ

オンラインコンバータ


ひょんなきっかけで。ちょっと大きな作業を展開、取り掛かり始めている。それらを簡単な表現に結ぶのは難しいが、色々な意味で自分にとって集大成的状況であることまでは自分でわかっている。実際何をするか、は、そこはあんまり難しいことではなくて、世にある音楽ソースを自分の環境に取り込んで、それを時には楽譜にしたり、それらを研究したり分析したりすることなのだが、『音楽』と一言でいっても、その『音楽』自体がすべて理屈から成り立っているわけではないあたり、それと自分が色々な角度から音楽に携わっているあたりなどが、自分にとってのこういう場での表現を難しくしてしまうのかもしれない。その作業にかかわるリンクを今日は以下に置いてみた。


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諍い

諍い


『諍い』というには語弊があるが、どうしてもそう書いてみたかった。母と言い争い、と言っても母はほぼ寡黙な対応であるので一方的な私の攻撃になる。母は歳が歳だからその辺を容赦しなければならないのに、私はそうはできない。人はそんな私を「親不孝者」と罵るかもしれない、こういった私による文書表現だけを見れば尚更だろう。些細なことばかりであるが、積もり積もるとそうでもない、ということは経験者ならわかるだろう。ことの細かくは書かないが私はほぼ毎日のように母に対し怒鳴っている、こんな調子で。「もののついでにことを成すのはもうやめなさい」「いくらでも時間をかけてもよいのだから、これからはひとつひとつを丁寧にやってください」「出来ないことは『お願いする』と、一言私に頼んでください」「どうしても自分でやりたいが自信のないこと、失敗の多いことは『見ていてくれ』と言ってからやってみてください」「灯りの暗いまま何かを始めず、周りを明るくしてから取り組んでください」「これまでの自分の信念を否定しなくてよいから毎日反省することを忘れないでください」「今からこそ真剣に一歩一歩生きてください」などと。『激動の昭和』の流れを、そのまま身体に、心に、染み込ませてきたのであろう、寡黙な母にとって、息子といえども他人にことを指図されたり注意されたりすることはどれだけ辛いことなのか、若輩の私には想像も出来ないが、私はこういうことをいまのところあきらめず、毎日、機会あるごとに母に告げている。うるさい奴、であろうとも。


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携帯電話

携帯電話


前回の記事の中で「…電話ショップの順番待ちで~」と書いたが。そう、私はついに携帯電話の機種変更をしたのだ。変更前の機種はいわゆる「ガラケー」。なんと10年近くも使い続けた、これまでは故障もなく。それでもついに息の根が止まったか、先日、突然うんともすんともいわず真っ暗な状態に。起動も再起動もしない状態となり、バッテリ交換もむなしく完全オダブツに。メーカーの修理補償期間は2012年に終了している、とかで、それで今回やむなく機種変更を。スマートホンにするか、少々迷ったが、人の噂するに『ガラケーは近い将来、世から消滅するかも』と時々に聴き、その真偽を確かめもせず「ま、そうだろうなぁ」と思った私は、ある決意を。「よし、この目でこの世のガラケーの最終期を見届けよう」と。プッシュ方式、ラインの使えない携帯端末、世間の人はそれを「ガラパゴスケータイ=ガラケー」と呼ぶようだが、私は携帯電話はこれでゆきます、その「ガラケー」でゆきます、これで一体どこまでゆけるか、私の携帯電話体験。その新機種名は。京セラの『GRATINA2』。さて、私とどちらが長生きするか。


関連記事⇒略語emoji

カレーをたべたい

カレーをたべたい


アバウト10年に一度くらいこういう日がある。いや、15年か、もしかしたら20年に一度かな?自炊ではダメなんだ。家庭の味ではなくて。レトルトは『可』かな。行きつけの電話ショップの順番待ちで~そのショップはなぜかレトルトカレーも販売していた。神戸なんとかカレー・・・で300円代か、んー、手に取りしばらく眺めて・・・そして呼ばれて。機種変更完了、でも帰り際にそのカレーをわざわざ買うのはなんか不自然だった、値段ではなくて、なんとなくショップの雰囲気が。なのでやめた、あきらめた。で、夜。やっぱり「カレーをたべたい」。コンビニへ行った。カレー弁当があったけれど『ダシが決め手!和風カレー弁当』・・・ちがう。ではレトルトを。商品棚の前で「ここ、品薄だな」「んーなんかちがう」「500円のレトルトカレー?」それはちょっと。店を出、さらにもう少し先へ行き~「松屋」へ。松屋オリジナルカレー、330円!ずいぶん安いんだな・・・食券を買って。店内で。うん、これこれ、この感じ。既製品ぽくて、ちょっと辛くて。外食の味噌汁好き。洟をたらしながら一人で。カレーを食べました。


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自我

自我


前回。「核心」というタイトルで記事を書いた。その中で『自我』という言葉に触れた。この『自我』というキーワード、実は先月11月20日のRAGAROCKのライブのことに起因する。その11月20日のRAGAROCKのライブでは、ゲストとしてサックスプレイヤーの『ワカさん(ex.Fools)』をお迎えしたのだが、前々日のリハーサルの休憩時にワカさんと取り交わしたお話から強く私の心に残っていたキーワード、それが『自我』なのであった。ワカさんが日々どれだけの鍛錬を積んであの「サウンド」を表現しているか、というのはワカさん本人からその様を簡単に聴くだけでも相当なことであるのは、そばでその音を体感するだけでも想像に欠かない訳だが、そのワカさん、私へ『自我が邪魔するのです』との一言をひょんなタイミングで告げた。この一言を受けて私は即座にこう答えた。『それも自我だよね』そして『何か変わりたいのならば。その今の自分を十分に、ありのままに味わうしかないよね』と。これは『変容の逆説的理論』からの一言である。こう、私が答えるのはちっとも難しいことではないが、私が一体どれだけ『自我』のことをわかっているのか、自分以外の方の言う『自我』の意味がわかっているのか、そこが私にとってのテーマであり、この日から私にとっての『自我』への旅、生涯をかけた「のんびり探索『自我』の旅」が始まったのである。


前回記事⇒核心emoji

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