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Ryoji Suzuki Memo

memoRyoji Suzuki image (メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒ねむれないあなたへ

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編集



パソコンを扱うようになってからは、『編集』という作業がパソコンを使用する自分の時間の中でその多くをこれまで占めてきた。ファイル名にも『編集』=「~edit」というものが多かったのもあってか、いつからかファイル名に「~edit」という綴りもあまり使わないようにもなった。私の作業の多くは「音楽制作」での『編集』だ。そしてここ一年では「動画」の『編集』も多くなった。これまでの動画『編集』で、その『編集』作業に段々慣れてもきていたので、感覚的なところで『編集』作業が途中で滞ることも少なくなっていた。ところが昨日行った『編集』作業では、随分つっかかった。動画の『編集』作業を、自分の手応えとして、漠然と喩えるが、「ピースの少ないジグソーパズル」のような印象を持っていて、大概はすんなりはまっていくことが多いのだけれど、それが中々はまらない、という感じに「ハマってしまった感」があった。このようなとき、自分はこれまで「あぁ、中々うまくいかないなぁ」と、思い、その原因を「素材のクオリティ」や「テイクの反省要因」に求める傾向が強いのを自分に自覚している。そこで今回は、「~のせい」「~が未だできていない」などの、厳しい自分の見方を少し横に置いて、『編集』作業にてつっかかったところから、もう少し望めるであろう「いいところ」や「発展性へ拡大要素」などに、意識的にフォーカスを当て、その仕上がる予測の時間範囲の幅を大幅に許容することを試みた。「予測の時間範囲の幅」と「その許容」とは、どういうことかというと、「3時間くらいで仕上がる」と予測したものを、その3倍程度の「9時間かかってもよい」というような感じに置き換えた事だ。このように「気持ちの持ち様」を変化したところで、確かに多めの時間は所要したものの、出来たものの手応えは「これまでとさほど変わらない仕上がり」と思えるまでにたどり着いた。これは「余計に時間がかかった」ということより、自分的には「時間をケチらなければ思考の制約範囲が広がるな」という意味になる。自分の感覚では、より多様性やケースの種類に対応できる間口が広がった、という良い解釈が残るのである。


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