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(メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒
ねむれないあなたへ
自信
昨日「4月19日付」で、「
格好」について、このメモブログで取り扱った。そこでは『自信』に関わる「何か」、ということで、書き表したのだけれど、この記事が反映される4月20日には、既に「RAGAROCK 一周年記念ライブ」は、終了しており、その「何か」について、ある程度手応えがあるか、はたまた検討違いなことだったか、そのあたりのことが、自分自身で感じられているかもしれない。この記事を書いているのは実際は、4月17日なので、その「何か」について、それは『自信』のことであったか、それともまた別の「何か」についてかどうか、今は結果としては記すことができない。従ってここは思い切って「予想」で書き表してみることに挑戦してみよう。自分には『自信』がない。それは「背格好」や「見てくれ」みたいなもの、と、ここで思い切って白状する。たぶんなのだけれど、この「白状」が大切だったんだ。そしてそれとは別にまた、自分の中の「クセモノ」ではあるけれど、変に、妙に存在している『自信』があったりもするのは自ら承知している。その「変に」と「妙に」としている『自信』を「思いっきり」拾い上げてみよう。その『自信』を明確にして、『自信』のない自分を「『自信』有り」の色かなんかに「塗り替える」、それか「上書き」してしまおう。自分にある『自信』とは何か。それは「センス」にある。自分にある『自信』とは何か。それは「即効性」にある。自分にある『自信』とは何か。それは「チューン(チューニングのバランス)」にある。自分にある『自信』とは何か。それは「自分自身の存在」にある。自分にある『自信』とは何か。それは「仲間の存在」にある。自分にある『自信』とは何か。それは「バンド=
RAGAROCK の存在」にある。自分にある『自信』とは何か。それは「ギター演奏」にある。自分にある『自信』とは何か。それは「作曲」にある。自分にある『自信』とは何か。それは「友人が作曲した楽曲に対する取り組み姿勢」にある。自分にある『自信』とは何か。それは「ギター用アンプの鳴らし方」にある。自分にある『自信』とは何か。それは「ギターエフェクターの操作」にある。自分にある『自信』とは何か。それは「時間制約の中での無限の表現」にある。自分にある『自信』とは何か。それは「周波数の中での存在感の表現」にある。自分にある『自信』とは何か。それは「楽音一音一音に入れ込む思い入れ」にある、などなど。これら『自信』の存在を自分自身に認めることで、「自信がない」を書き換えてしまうことにした今日のメモでした。
『自信』かぁ
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