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Ryoji Suzuki Memo

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尺度



『尺度』という言葉を今時の会話で普段から使うだろうか。わたしが耳にした最近の会話では「自分の物差し」とか「相手の物差し」が、『尺度』と同じ意味合いで使われていたのを、ある友人との間で体験した覚えがある。わたしはどちらかというと「ものさし」より『尺度』を使う。つい此処のメモでも、4月15日付「軽食」の記事で「自分の『尺度』」と使ったばかりでもある。この「尺」は、文字通り、一尺二尺の尺で、それは日本の独自の古来からの単位で「尺貫法」と呼ばれるものだが、現在はその方式での計測はごく一部の業種で名残があるものの、基本的には用いられることはない。ちなみに一尺とは約30cmのことで、一間とは約1.8m、一町は約110mで、一里は約4kmだ。昭和初期頃までに書かれた文学でならその単位をその小説の内容などでも普通の寸法として見ることもあるかもしれない。現在では「何尺玉」とか、花火の大きさの呼び名で聞く事があるだろうか。話はそれたが、この『尺度』、自分で使うわりに、その実寸にもはや実感がないことが、今たまたま気になって、『尺度』についてなんとなくメモに残しておきたくなった。それというのも、自分は「自分の『尺度』」でモノを言い、こうして書いたりするけれど、これを読む方はそれはそれで、わたしから見れば「相手の『尺度』」ということでもあり、その『尺度』の違いも、確かに何やら違いがあるよな、なんて今さら思っただけでもあるのだけれど、人は案外、自分の『尺度』は平均である、とか錯覚していたり、錯覚も何もなく単に「自分の『尺度』」が基準になっているのも、わりと普通なことだものね、など思いをめぐらすことから、ここに書き出したのが今日の自分だったよな、そういえば。という締め括りだけれども、なんとなくお粗末なまとめとなり、すみません。


一寸法師は身長(約)3cmとなemoji
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