平凡な毎日。荒波のような日々。様々な起伏があり、様々なバイブレーションがあり、目まぐるしくも、変哲がなくも、それなりに頼りになる感情のひとつに『衝動』と言うものがある。人によっては「後悔」の種となり、人によっては最も望む結果を呼び覚ます「きっかけ」となる場合もあり、わたしにとっては、常々のシフトや行動の拠り所とすることも多い、『衝動』という感情、そしてそのタイミングも然り。『衝動』を失った生活は実に味気なく、また良くも悪くも「感動」「感激」「動揺」「失意」を避けた毎日は、日々の「歓喜」を味わうことなく、例えば堕落の道を辿っていることでさえ、その「堕ちる」感覚をも喪失してしまうのかもしれない。これら感情の様々は日常の「うねり」を生み出す原動力であり、また人という生命体の持ち合わせた「感情の振り幅」とは、人間ならではの大切な宝であろう。「悩み」や「悲しみ」「淋しさ」、そして「希望」「ときめき」も、「興奮」「怒り」「驚き」そして「慈しみ」「愛おしさ」「恋しい」も、「楽しみ」「嬉しさ」もそれらあらゆる感情において『衝動』こそ、それら感情と、その実感を味わうのに、もっとも近い位置に存在しているように今、そう思うわたしである。そして「癒し」はそれら感情の「終着点」それか「発進点」のような気がするし、それらを乗り越え人は「優しさ」を持つことができるような気がしてならない。
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