比較に驚愕?
かつて他人や友人に「比較して良いモノを(事や考えも)選べば~」と、多く言っていた自分だった。その自分の意識を顧みると「比較する」というツール自体を何かのケースにより使い分けるような意味を全く含んでいない自分であることに驚愕した、今さら。自分のしていた「比較のススメ」とは、妄信的で意味不明な宗教と同じだった。ケースや損得、ことにしろモノにしろそんなのは一切関係なく「比較の仕方・あり方」が重要で「比較」は不明不安を除去し「比較」は己に道をも指示すモノ、つまり挙動や考えの前提にさえなっていただろう。何が一体どうしたのかは一切省き。今は比較することすら嫌悪している。つまり、何かのことを自覚なく慣習的に比較していることに「ハッ」と気付くと「うわっ」となって落ち込んだりする。
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