実存の意識
自分が自分であること、自分が確かに存在していること、それを実感している人ってどれくらいいるのだろうか。私から見ると例えば有名スポーツ選手や、いわゆる著名人などの発言を雑誌や情報誌で目にしたり、かつてはテレビなどを通して、それらの人から感じることの上に自分の想像を加えて「こういう人たちは実存している実感があるのだろうな」と何気に「頼れる人」「頼れる印象」を持って納得していたと思う。その後には「情報にどれくらいの真実が表れているか」ということを考えるようになってからは、その後の情報を鵜呑みにはしなくなったものの、過去の印象を自覚的には消し去り難く、入るものは受け取り難くも入ってしまっているものについては中々取沙汰しないのもまた、時の流れにそのまま流されてもいたことだ、と、今更思う。私のこれまでの一般教育の経験からは「実存の意識」や「存在の定義」などは教わった記憶にない。今ならこうしてネット検索で何らかの関連情報や、宗教、精神世界についての情報から、関連する情報は入手可能であるかもしれないが、身近な友人間や一般の交友からそれら情報を得ることは考え難く、また各々の意識にどこか共通性はあっても、それらを表すまでには様々な定義が持ち込まれることだろう。これまでの印象において「そういったことには関らない」「人と異なることについて言い合うことを人は好まない」という印象が私から見てもっとも多いこと自体、単に人は「実存の意識」や「存在の定義」について深い認識を持っていないのだ、そう思う。
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