強気・弱気
自分にある『強気』の面・・・いったい自分に強気の面なんてあるのだろうか。『弱気』の面というなら、特に幼い思い出から思い当たることもなきにしもあらず。が、あくまでも覚えているのは、何かにとらわれて立ちすくむ自分の姿・・・幼き自分のその脳裏を埋め尽くしているのは、ある「イメージとの乖離」による戸惑いであって、客観的にその姿を見れるはずもないのに、そういう微動だにしない状態の私の姿、という思い出である。今思うと、それはむしろ『強気』の面とさえ思う。駄菓子屋に行き、30円握りしめるも目的の物がない、そこで幼き私は立ちすくんでしまう・・・こういったケースが小中学生の頃までに何度か思い出にある。「アレはないのですか?」とは訊けず「替わりのものを」などと発想することもできず「ではまた来ます」などという機転もきかず。おそらく店の方に声をかけられたら最後、走ってその場を逃れただろう、が、しかしそこもよくは覚えていない。『強気・弱気』という一括りのイメージからふと書き出したこのメモ、自分も含め誰からどう見えるかというよりも、その強弱両端の2極の意味合いよりその間にあるもの、そんなことが書いてみたかったのだけれど。
PR