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Ryoji Suzuki Memo

memoRyoji Suzuki image (メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒ねむれないあなたへ

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理解



『理解』という言葉を口にする時。どれだけ『理解』していると言うのだろう、また、どれだけ『理解』してもらえているのか、はたまた、どれだけ『理解』してもらいたいか、『理解』というひと言には重すぎるほど重たい「人の心のうち」があるような気がして。私は何か、自分のことを『理解』してもらいたい、と、そのような自分の「心のうち」について、自分以外の人に望むことは、あるときから諦めているような気がする。慢性化した、自分のその「内なる望みへの諦め」は、いつしかぼんやりと曇ってしまったのか、今では、そんな思いさえも失せてしまっているかもしれない。時々、日常の会話ややり取りでは、なにかの拍子に「うんうん、それ解る」とか「理解しているよ」など、実際には口にしていて、そこでも自分がこれだけのことは『理解』している、という本当の『理解』の度合のことが、さらには相手に、「ああ、『理解』してもらえているんだな」と、受取ってもらえているところにたどり着くまで、一体どれだけの「理解した」が通じているのか実際はわからない、相手の本当の「心のうち」を知ることは出来ない。会話ややり取りなら、その前後の脈や繋がりがある場合は、なんとなくでも『理解』されている、『理解』している、についての雰囲気でその「あたり」のことに落着く他ないのだけれど、『理解』による合致が、なにか『理解』できるような、そういう現象にもしかたどり着けるのなら、人間という自分の実体を『理解』出来るようになれるのかもしれない、できればそういうことを、生きているうちに、人間であるうちに『理解』したいものです…って、あぁ、『理解』さえも夢物語なのでしょうか。


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