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Ryoji Suzuki Memo

memoRyoji Suzuki image (メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒ねむれないあなたへ

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感覚



「感覚的な~」などと、良く耳にする表現の主格にある、『感覚』という言葉。私の中では『感覚』と「感情」という言葉を用いて表現する際のそのものに対する大まかな印象では、わりと「いっしょくた」にしてしまっていることも実は多いようだね、って、自身に対し改めて思う。今回のメモはそのことを書きながら『感覚』という言葉について、自身の「なんらか」を知ることになれればいいな、って思って書き始めた。『感覚』には、思い当たるところでは、「知覚」「視覚」「嗅覚」「味覚」、その他まとめれば「身体の感覚」、少し突っ込んで「思考の感覚」「手足の感覚」「歩いた感覚」「怒りの感覚」「始める感覚」「終わりの感覚」、もう少し無理をして「あきらめの感覚」「お笑い感覚」その他、情景や具体性を加え拡張していくことで、様々なことに対し「~の感覚」というふうに、表現を印象付けるのに、使いようの広い言葉だ。一方、「感情」は、「自分の感情」「相手の感情」、少し突っ込むと、「悲しみの感情」「嬉しい感情」、さらに進むと、「感情表現の豊かさ」「感情のない音楽」「感情と思考の狭間で~」など、その「感情」という表現の使い方、『感覚』と「感情」の双方の用い方は異なる道を示していることに、今さらながら気づきつつある私である。『感覚』と「感情」双方に類似している自分の言葉の用い方には『感覚的』と「感情的」という表現にも現れているとおり、自分は「感じる(=feeling)」に強く反応しているんだ、ということらしい。『感覚』には「身体の感覚」とも「心の感覚」とも用いるし、だが「感情」では主に「心」にフォーカスした表現をするみたいだ、つまり「心の感覚」に関するなんらかの表現に『感覚』と「感情」を用いる自己の印象が強いので、なので「わりといっしょくたにしてしまっていることも実は多いね」と、自分の中でなっていることに今日は着目してみました。でもこういうのって今後さらに要学習だね。


『感覚』的な表現を「感情的に」記す、とか、
「感情的な」表現を『感覚』的に記す、とかemoji

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