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Ryoji Suzuki Memo

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因果



因果因果性(カルマ=)』については、諸説があるだろう、ことなのでここでは、私の思想や経験から出てきたこと、感じたことをこのメモに記しておく。従って私の今の思うことであり、それらは自身のうちでも今後変化するだろうし、「なにが正しい」ということに於いては、このことを受け取った方の「経験」や「思想」もしくは「哲学」的な学習の域に依存する。あくまでも、今の私の感じ方だ。「自分でどうにもできないこと」っていうことが、多かれ少なかれ、自分の営みについて、誰しもが感じることが時々はあるんじゃないかな、と、私は思う。それらは、出生した「国」であったり、「貧富」に際する、物心付いてから身の回りを見渡して感じる事、「運・不運」など自分の時々の状況に関すること、はたまた、自分の外を見たときや外の情報などを取得したときに気づく自分と他人との「立場」の違いや、環境の違いなどだ。努力や積み重ねで自分の身に引き寄せることができることもあれば、とうてい、努力や学習、知識の取得、あらゆる手段を講じても、「出生」の年代を指定したり、自分の立ち位置を急激に変更することなどに及びもしないことも数多くあることだろう。『因果(カルマ)』とは、そういった、自分ではどうにもできないけれど、どういうわけかそういう『境涯』にあることを、自分に対して思うとき、考えるときのひとつの『教え』として、拠り所としてこの世に存在している思想、哲学、考え方である。またこれらは先人から譲り受けている知識であるし、実際の自分が『因果(カルマ)』についてどうなのか、という点は先に述べたとおり、その本人の「経験」や「思想」もしくは「哲学」的なところの考察に帰依するしかないし、「感覚」で受取る、「感じる何かがある」というのも当然あり得ると、思う。ここで、ありがちな喩えやケースみたいなことをあえては書かない。自分で強く思うし、自分ではっきりと感じるし、自分でどうにかできること、それらは自身を見つめることで、自分にとって「腑に落ちる」状態を知る事と、自分が望む方向、選択したくないものごとなどで身の回りに起きている事柄についての遠望を見渡すことができるようなことであるなら、その状況における自分を見極め、自分がこれまでに「なりたくないのに、そうなってしまう」「選んでいないのに、気づくとその方向に至ってしまっている」ことに対して、強い意識でその状態から逃れるか手放すかを選択して、自分にとってシンプルな選択を連続しておこなうことで、『因果(カルマ)』というものを見つめることができる可能性がでてくるのかもしれない、ということだ。重ね重ね繰り返すけれど、これらは私の主観であるし、『因果(カルマ)』に関して思うことはシンプルではあるが、それに言語表現を全て重ねることは、今の自分にはそれをする気がないというのもある、が、しかし、今日は『因果(カルマ)』について大雑把に書き表すことを己に対し挑戦してみました。


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