忍者ブログ

Ryoji Suzuki Memo

memoRyoji Suzuki image (メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒ねむれないあなたへ

MENU

我と汝



我と汝(われとなんじ)』とは。今の自分には説明はできない。いつか、自分になんらかの表現ができるようになるのか、それとも永遠にその表現にたどり着くことができないか、これから自分はどうするか、のことではあるけれど『我と汝』のこと、今のところ私にとってはとても興味深いのだ。オーストリア出身のユダヤ系宗教哲学者、社会学者であるマルティン・ブーバーの著となる『我と汝』(1923年)によって、主たるその考えを求めることができるようではあるが、自分はまだまだ随分手前の段階での興味を示している程度。その著書でさえ手にしたことがない。この浅はかなさまのまま「何か」という表現を主題に『我と汝』について思い当たることをここに挙げてみる。音楽を制作するときに、その「何か」を感じていることがある。歌やギターを普段演奏したり、練習したり、アンサンブルの時に、ライブの時に、「ある特定なシンプルな状態」というのがあって、そのときもその「何か」を感じていて、それはその状態でないと、自分としてはなんというか、実感がない。果たして「実感」という表現が適切かどうか、も、「ある特定なシンプルな状態」という表現が適切かどうか、も、今のところは怪しい。犬や猫など動物と触れ合うとき、その時々に「何か」を実感している、「実感」というよりは「無」に近いのだが。登山など山に入っていて、野生動物がふとたまたま近くに寄ってきている時などに、その「何か」を「無」に近いことで体感することがある。自分の場合、それらを知っていながら、その感じを知っていながら、それを持ち続けることは難しい、というのも、なにげに気づいていながら、普段はあまり自覚的ではない。『我と汝』のこと、またいつか書いてみたい。


われ―それ」とかemoji
PR

Ryoji Suzuki への連絡
メールフォーム




頂戴しましたメッセージの確認及びお返事のご用意にお時間もしくは日数がかかる場合がございます。

× CLOSE

プロフィール

HN:
Ryoji Suzuki
性別:
非公開

P R

× CLOSE

Copyright © Ryoji Suzuki Memo : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]