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Ryoji Suzuki Memo

memoRyoji Suzuki image (メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒ねむれないあなたへ

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ジャッジ



『ジャッジ(判定)』。ここでは、自分自身に下す、自分への自らの判定を取り扱う。3回にわたって「悪人」「善人」「普通」というタイトルでこのメモブログに書き綴ってしまった。それぞれの添え書きにも記したとおり、「自分の独り言」「自分の思うこと」として「自分の観念」、「自分の価値観」についてを私はみてきたのだ、と思う。個人的な思いを、結果公的と成りうる場にこうして書くわけだから、歴史的にみれば「言論の自由」とされてきていることでさえ、ここ有史百数十年前からの価値観であるだろうし、それでさえ、こうしてインターネットでの配信が可能になり、その上でさらに個人の尊重が一般化した、個人の手の届くところで実現できるようになったのは、日本でさえここ10数年のことだと思う。それまでは「言論の自由」と言ったって、新聞雑誌上か、書籍によるものが一般で、それらも各社編集長や出版社の責任においてある程度の役職の管理下に基き、内容によっては政治、思想に関わることには「ご法度」「禁句」などの影響でもみ潰された書き物も少なくなかったハズだから。今現在が何を書いてもいい、というわけではないだろうし、場合によっては、人知れず権力において潰されることもあるのかもしれない。そんな中でもこうして好きに書くことが可能、となった、今、本当に問われるのは、記述するその個人の価値観に委ねられており、つまりその著者の人格や性格に対する、他者からの反応を含め、その個人の自覚、モラルによるところとなるだろう。ここで、例えば私、私個人にとって大きく壁となるのは、その自身の価値観に対する自らの『ジャッジ』となる。人目に多く晒されない以上、閲覧する者の数に限度がある以上、そのモラルを問うのは「自身に対して」ということが、まずは個の概念の全体を占めることになる。よって冒頭に記した、3回にわたって「悪人」「善人」「普通」というタイトルでこのメモブログに書き綴ってしまった、ということは、自身に於いては大変危険な行為にも該当する場合がある、というのが、こうした書き物を続けてみて、今思うところである。それらの概念の実際、それか公的なアベレージは自身からみてまだ定かではない。ただ、気をつけたほうがいいし、安易には書き出さないほうが無難だ。もう少しそのへんを考えながら、続けるのならしっかりとした足取りで考えていこう、書き綴っていこう、今日はそんな風に思いました。


『ジャッジ』とは書いたけれどまだ序章だねemoji
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