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Ryoji Suzuki Memo

memoRyoji Suzuki image (メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒ねむれないあなたへ

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戦争



日本人である以上、8月6日と8月9日の「記念(祈念)日」のことを語ること、思うことを忘れてはいけないと私は思っている。色々な思想や理窟、歴史、経緯は様々な立場において、否定要素、肯定要素として共にあることだろう。そこで私は私なりの思いでそのことに触れておく。歴史的にみて、産業革命以前の人間の技術では「大量殺戮」といっても、肯定はできないにしても、未だ肉体と肉体のぶつかり合いで起きていたであろう『戦争』。民族同士の習慣や思想の異なり、階級の異なりにおけるその強弱、優劣、それらは動物的なひとつの力比べであったり、保身、信念、ことによれば恨みつらみ、もしかしたら勘違い、いずれにしても人間の発展の途中段階に起こるべくして起こった諍い、正義、守るべきもの、そのために命をかけることがあったのだ、ということは、言い伝えの残る歴史や文学、思想哲学などからある程度の想像や分析は可能だ。火薬を使う、爆弾を扱う、銃器を所持する、薬物兵器を使うとなるともはや肉体と肉体のぶつかり合い、とはいえない。頭の切れる軍師や指導者がいれば、世界的にみてそれがたとえ小規模であったにせよ、多い人命が犠牲となり得るだろうし、また、人命以外でも失うものもでてくるだろう。技術ばかりではなく、人の「心理」でさえ、コントロールできることは多々ある。が、しかし、その「マインドコントロール」みたいなことに関しては、歴史的知識、基礎的学問以外でもまだまだ現代では「語られていないこと」「認識が及んでないこと」「知識に表されていないこと」は数多いような気がする。支配や階級、習わし、感情、心のこと、民族のこと、人格のこと、まだまだ人間は幼い部分がある、と、私はそう思う。ここで何か「決定的」なことは述べないにしろ、人間の過去の行為の遺産から学ばなくてはいけないことはまだまだ数限りなくあるはずだ。つまり忘れてはいけない、起きた出来事、これまでの歴史を。そして目に映る「イベント※」ばかりに目を奪われてはいけない、その裏には書き記されない日常の積み重ねがあり、そこにこそ、多くの物語(もしくはリアリティ)が潜んでいる、ということを。


※イベント=歴史的な出来事emoji
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