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Ryoji Suzuki Memo

memoRyoji Suzuki image (メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒ねむれないあなたへ

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意識



『意識』「知識」「認識」「識別」など、「識」の付く言葉の色々をきちんと定義立てして用いているわけではないけれど、『意識』ということで普段よく陥る、または佇んでしまう感覚が自分にありながらそのことをこうして「書こう」という気になれるのはまあまあ珍しいことでもあるので、今回のメモでそのところに触れておく。今日感じたことは「自分の存在」だったり「生きている」ということで、目の前に展開している「現実」の不思議についてだった。たとえば、「過去世」「来世」「前世」など、とある思想ではごく当然に用いられる概念などについてのところのことでもある。人間の「知識」や「認識」では、生まれてから死ぬまでのことは現実や理論で定義立てされていることはたくさんあるけれど、それ以外のところのことは「因果」や「宗教」「哲学」「思想」「宇宙」などの題目で語られることはあっても、滔々と流れる「現実」の感覚では一歩引いた、というか、外のこと、というふうに、か、「識別」されていて、通常のことではそれらのことが主体とされている「社会」は表立っては「少ない」と思っている。ふとしたときに思う、「現実」の不思議と、「現実」以外の世界。冒頭では「よく陥る」とも表現したが、実際は「佇む」とか、「もの思いに耽る」とかであって、実はその感覚を感じているときというのはそれほど悪い気はしていない。定義立てたり、言葉で簡単には表現できないその「現実」以外の世界、それでも私はその世界を想像すること、その感覚の中に「佇む」こと、ひとつの『意識』として自分の中に存在する「何か大切なこと」をその『意識』から受け取っている、そんな気がしているのです。


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