『ハイヤーセルフ』について、その表現を耳にするにはいくつかのケースがあると思う。私は自分独自の世界観で、この表現『ハイヤーセルフ』を使ってみている。『ハイヤーセルフ』や「オーバーソウル」。私にとってのこれらの表現はここ10年で耳にした言葉である。これらの言葉は今後もしかしたらより明確なイメージを伴なう表現になるかもしれないし、そうでもないかもしれないけれど、先のことはまだわからない。自分にとって自分を導く無意識的な選択の存在を言い表すのに、私は時々『ハイヤーセルフ』という言葉を用いる。自分にとって自分と繋がるであろう、無意識な連帯感に関することをイメージするのに「オーバーソウル」という表現を用いることがある。今、ここに書き残しておきたかったのは、そういった『ハイヤーセルフ』や「オーバーソウル」という表現や思想からヒントを得た自分の世界観において、高い立場をとろうとする、自身に対する自己評価をする側と、対になる位置に佇むもう一人の自分の存在に気づきつつある、ということ。その自分とは「弱くて」「人間らしい」自分だ。自分の内面に居るのであろう、もしくはこの身体そのものであろうその「人間」の自分は、この地球上に住んでいる「人間」という生物だ。この「人間」が実は重要な鍵を握っている、そのように強く思った。「重要な鍵」がなんなのか、は、「生きる」ということだったり、「学ぶ」ということに関連する。少しずつだけれど、何か、「方向性」みたいなことを自分に見出そうとしている、それと、何か「流れ」をみようとしているそんな今の私なのかもしれない。
「ツインソウル」とか
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