『普通』ってなんだろう。「標準」ってどういうことなんだろう。自分が多く使う表現に、『普通』とか「標準」とかがあって、それに類似するのでは「一般的」なんていう表現もよく使う。全体の意味の大まかなところでは使い分けはあっても、それほどの異なりはない。『普通』も「標準」も「一般的」も物事の基準を成しているようなイメージは色濃く感じていても、さて、今の自分のように、それが「なんなのか」をしっかり見ようとすると、「空洞であるのではないだろうか」と言いたくなるくらい「何かぼんやりとしたもの」を感じてしまう。ここから先に書くことは間違っているかもしれないし、訂正することもあるかもしれない。でも今感じていることをそのまま表現してみよう、と思う。『普通』なんて無いんじゃないか。「標準」とかって、例えば身長や体重などでの「標準」という数値的な平均値を指している、ただそれだけの表現なのではないのだろうか。「一般的」なんて、さも「道理」といわんばかりの「形式」を持ち込むことで、ただ「防御壁」を造っていたり、なんとなく、その「一般的」を口にすることは、影に身を潜めるような、自分の責任逃れのためのような表現の表れなのではないか。私は何か今「転機」を迎えているのかな。この先自分にとって「重要な何か」に気づきそうな気がしているのかな。
『普通』「標準」「一般的」「道理」とか
PR