年月を経て気付くことがある。その気付きの対象自体は数年前から認識してはいるものの、思い込みやらなにやらで、そのものは何かの動機でそうなっているもの、と、決め付けてしまったまま年月が流れ、ある日突然ふとしたきっかけでそのものの真実に気付くのである。その気付きには赤面するようなこともあるだろうし、なにかと感心するようなこともあるだろうし、思いのほか手間がかかっていたり、いくつもある筈のプロセスを随分簡略化してイメージしてしまっていたことなんかに改めて反省することもあれば、そういうことが気付けるようになった自分のことも褒めてあげたいような気さえすることもあるだろう。自分にとって大切な何かを見失わないように、且つ、ゆっくりとした歩調で、それでいて尚もゆったりとした気持ちでいられるような、余裕を持って目の前の出来事をきちんと受取れる、選択することが実感できるような、そんな年月を過ごせるのならそれは真に素晴しいことだ。
「歩く」のっていいよね
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