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Ryoji Suzuki Memo

memoRyoji Suzuki image (メモ&ダイアリー)は Ryoji Suzuki の日々の心の足跡。自分向けのメモですが公開しています。良かったらご覧ください。ブログはこちら⇒ねむれないあなたへ

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音楽



私は『音楽』のことを、日常会話ではあまり語りたがらない。「バンド」のこと、となると更に口は堅くなるかもしれない。「ねむれないあなたへ」というブログ上では『音楽』ブログというカテゴリにあるためか、ほぼ毎回『音楽』に関わることを記事として取り扱ってきたし、こちらの「メモブログ」でも時折『音楽』のことを書いてはいるのだが。その自分の会話での「話さない」「語りたがらない」と、ブログ上で「書く」それか「たまに書く」という違いを持つ、自分にとっての『音楽』という存在。自分が専門としているその『音楽』には、自分の生活の中でのあらゆるケースで『音楽』と係りを持つ出来事や物、人、事象において、「注意深く構える自分」というのに直面する感覚を助長するチカラがあるように思う。それは自分にとってとても深い、深い、ことなのかもしれないけれど、今回はその『音楽』に関わるシーンでおきたひとつの小さな「気づき」を、こちらの「メモブログ」で大きく取り扱っておこう。今回のテーマは、「会話ではなく」「書き物で登場」する、自分にとっての『音楽』について。会話とは「目前」に相手がいる。ブログなどでは、読者はいても、「目前」での反応は得られない。この相違点がカギだ。この「相違点」について自らきちんと書き出すならば、相当な文字数分の気持ちがあらわれることを自身に対し理解しているので、今は簡単な表現に留めておく。それら表現として、サッと浮かぶものは「相手の目が恐い」「相手の表情が恐い」など自身の感覚、それと「相手側の感覚に合わせる自信がない」「自身が誤解される印象を嫌がっている」「自分の言葉で正確に表現する自信がない」「自分の気持ちを簡素な表現に結び付ける自信がない」など。ここに登場した「自信がない」について、これまではあまり自覚がなかった。それとその「自信のなさ」が「恐怖」に繋がっていることを、今日(こんにち)自分の感覚で自覚しつつある。今後又それらの感覚に自身で触れることがあれば、そのときにでも今回のような『音楽』に関わる自分の事柄を綴るかもしれない。


『音楽』を聴く、『音楽』を聴かせる、『音楽』を語るemoji
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